スタジオジブリの名作『紅の豚』。
主人公のポルコは、豚の姿をしています。
ですがポルコはなぜ、“人間”に戻ったのでしょうか?
・カーチスとの決闘前夜に、弾丸を確認しているシーン
・カーチスに勝利し、フィオにキスされたシーン
その後、またポルコが“豚”になる理由とは?
そもそもポルコが豚になった理由は?
魔法の正体とは?
まず、ポルコが豚の姿になった理由から順に読み解いていきましょう。
宮崎駿監督の回答と一緒に、その真相に迫ります。
『紅の豚』ポルコ、なぜ豚になった【公式回答あり】&考察

『紅の豚』ポルコ・ロッソは、自らに魔法をかけて豚になった。
主人公ポルコ・ロッソは、その名の通り、“豚”の身体を持つ中年男です。
凄腕飛行艇乗りで、空賊(空の海賊)相手に、賞金稼ぎとして生活しています。
元々はイタリア海軍大尉でした。
ポルコは、戦争(第一次世界大戦)で多くの仲間を失いました。
戦争が終わると、再び軍隊に戻る事を拒否し、自分で自分に魔法を掛けました。
ポルコがなぜ豚になったのか、作中ではっきりとは語られていません。
しかし、関連書籍『飛行艇時代』『ジ・アート・オブ紅の豚』には、その理由がハッキリ記載されていましたね。
ポルコが豚になったのは、自らの意思によるものだったこと、軍隊に入ることを拒否する為だったことは、これで分かりました。
続いては、“なぜ豚なのか?”“豚になるメリットは?”“どうして魔法をかけられたのか?”ということについて、引き続き考察していきたいと思います。
紅の豚|なぜ豚なのか?

ポルコは、赤い豚野郎(共産主義)だから。
ポルコロッソの意味

ポルコ=豚(イタリアで相手を罵倒するときに使われる)
ロッソ=赤色の(赤色は、共産主義を象徴する色といわれている)
日本語だと、時によって日本語だったり、イタリア語だったりするのでややしいですが、要はポルコはずっと「豚野郎!」と呼ばれているようなものなのですね。
というわけで、自ら豚になることを選んだポルコには、自分を蔑んでいるようなところがあるのだと想像できます。
紅の豚|マルコとポルコ(豚)、本名はどっち?

ポルコの本名は、マルコ・パゴット。
ポルコ・ロッソとは、空賊達が彼につけたニックネームです。
みんなはポルコを「ポルコ(豚)」と呼びます。
が、ジーナだけは本名の「マルタ」と呼んでいます。
マルタとジーナは子供時代からの付き合いです。
ジーナにとって、マルタは豚の姿になってもマルタでしょうし、罵倒語でもある「ポルコ」とは呼びたくなかったのでしょう。
ジーナとポルコ(マルタ)のその後は?賭けの行方はどうなった?
紅の豚|ポルコはどうやって魔法を使ったの?

自分は赤い豚野郎だという、自己暗示によるもの。
だと考えられます。
『ハウルの動く城』のソフィーを思い起こさせますね。
(彼女も自己暗示によりおばあちゃん化しています)
そう考えると、それは豚になる魔法というより、呪いともいえるもしれません。
共産党というのもそうでしょうし、
上官でありながらひとり生き残ってしまったことに対する負い目もあるのでしょう。
ポルコと空賊、どちらが先に、「ポルコ・ロッソ」と言い始めたのかは(名乗り始めたのかは)分かりません。
が、いずれが先にせよ、結果は同じだったのではないでしょうか。
思い込みの力はすごいものですが、まさか、これ程までとは…
しかしポルコの周囲の反応をみるに、魔法や呪いが存在すること自体は、受け入れられやすい世界観のようですね。

『紅の豚』ポルコが豚になるメリットとは?(なぜ軍隊に入らなくて済まされるのか)
紅の豚|ポルコが豚になるメリット①

ポルコが豚になる最大のメリットは、軍隊に入らなくて良いこと。
つまり、戦争に参加しなくて良いことですよね。
ポルコは、海の嵐に降りて、敵のパイロットを救出しこともあるといいます。
ポルコは戦争の無意味さと愚かさを知り、戦争にはもうこりごりなのでしょう。
ポルコが作中で、
「豚に国家も法律もねえよ」
「ファシストになるよりブタの方がマシさ」
などと話していたことは、このことの裏付けになるでしょう。
ファシズムと闘う
ポルコは、第一次世界大戦後は「ポルコ・ロッソ」として認知されるようになりました。
ポルコは、「かっこいいとはこういうことさ」のキャッチコピー通り、映画内での女性ウケは良い様子です。
ポルコが黄色い声援を浴びながら、赤い飛行艇に乗って自由に空を飛ぶ。
この行為は、ファシズムに対する無言の抗議活動にもなっていると思います。
紅の豚|ポルコが豚になるメリット②

自己防衛できる
ポルコは、第一次世界大戦中エースとして活躍しました。
が、多くの戦友を失い、心に深い傷を負ったようです。
また、ひとり生き残ってしまったことに罪悪感を覚えているようで、自嘲気味です。
ポルコは、「豚の鎧」をかぶることで、過去を立ちきり、トラウマから身を守ろうとしているのかもしれません。
ポルコが豚になった背景には、人間としての苦悩や理想、そして戦争への深い反省があったのですね。
紅の豚|ポルコはなぜ豚になることで軍隊に入らなくて済まされる?
映画を観る限り、
ポルコは人間でなく豚なので、法律は適用しない、という考えのようですね。
いち視聴者的には、豚人間という異形さはむしろ強みなのでは?
それから、ポルコは豚か人間かでいったら圧倒的に人間なのでは?
と思いますが、それをいったら物語は成り立ちませんので、深く考えなくて良いのです。
それをいったら、豚人間が普通に受け入れられていることの方が、不思議なのですから。

『紅の豚』ポルコが豚になるデメリットとは?

秘密警察に命を狙われる
ファシストの秘密警察は、豚は徴兵されない代わりに、人権も与えられない、と考えているようです。
ジーナも、とんかつにされてしまうと、心配していましたね。
『紅の豚』ポルコが人間に戻るのはどんな時?

素に戻ったとき。
あるいは、ヒロインの心を思う礼儀として。
宮崎駿監督は、書籍『ジブリの教科書7 紅の豚』(文春ジブリ文庫)の中で、次のように語っているとのこと。
人間の顔に、本当の真顔になってしまうことも、豚にとってはあるかもしれない。
ヒロインに対する礼儀として、フィオの心を思ったら、やはりちょっと真顔になってあげなければ。
ここで、ポルコが人間に戻ったシーンを振り返ってみましょう。
- 明日の戦いに備えて、フィオが寝ている横で、弾を確認しているシーン。
- カーチスとの決戦に勝利し、フィオにキスをもらったシーン。
なるほど、夜中にひとりでいるときに、自分を取り繕う意味はないです。
また、フィオからキスをもらった時に人間に戻ったのは、フィオの思いに応えてあげたかったからだと考えられます。
フィオは、お姫様のキスで、ポルコが人間の姿に戻れることを望んでくれていました。
ポルコは、大事なキスをプレゼントしてくれたお礼に、人間に戻ったのでしょう。
自己肯定感の高まりのようなものも、手伝ったかもしれません。

『紅の豚』ポルコは一生人間に戻ったまま?

ポルコは一生豚の姿のままである可能性が非常に高い。(だけど時々人の姿に戻る)
宮崎駿監督は書籍『ジブリの教科書7 紅の豚』(文春ジブリ文庫)や『紅の豚 ロマンアルバム』の中で、「ポルコは人間に返ったのか、それとも一生豚なのか」というインタビュアーの質問に対し、次のように答えています。
人間に戻るということがそれほど大事なことなんでしょうか(笑)。それが正しいと?
僕は豚のままで生きるほうがいいんじゃないかと思います。ときどきつい本音がでて真顔になったりするけれど、でも豚のまま最後まで生きていくほうが、本当にこの男らしいと思う。いわゆる皆さんが期待している、なにか獲得して収まるハッピーエンドは、この映画には用意されていないんです
僕は豚よりも人間のほうが価値が高いなんて思っていません。人間とミミズで、ミミズのほうがましな場合だってあるんです。
人間の顔に、本当の真顔になってしまうことも、豚にとってはあるかもしれない。だからといって、すぐジーナのところへ行って『どうも』って……行かないですね。そういう日もあったかもしれないけれど、ジーナが出てきたら、また豚になって飛んでっちゃいますよ。僕はそのほうが、自分を許さないというほうが好きです
宮崎駿監督が、豚のままで生きていく方がポルコらしいというのであれば、それが答えに感じます。
観客がポルコは人間になったままなのかどうかを気にする理由は恐らく、それがポルコにとってハッピーエンドだと感じるからですよね。
いとしい豚のパイロットに、幸せになってほしいのです。
しかし宮崎駿監督にとって、ポルコが人間に戻るかどうかは、そんなに重要じゃない。
確かに、ポルコには生涯自分のポケットマネーで空を自由に空を飛び続けてほしいとは思います。
それで、時々人間の姿に戻る。
それが、ポルコのライフスタイルなのかもしれません。
無論、その後のストーリーに正解はない、というのが物語に共通する楽しみ方だと思います。
ですから、ひとりひとりの中に違ったストーリーがあっても、そこに悪意がなければ、それは全て本物で正解だと思います。
『紅の豚』ポルコが豚になることに託されたメッセージとは?(伝えたい事)

ポルコが豚になることに託されたメッセージ(伝えたい事)とは何だったのでしょうか。
伝えたい事①個人の選択とアイデンティティ
ポルコは、自らの意志でありのままに生きることの大切さを教えてくれます。
伝えたい事②戦争へのアンチテーゼ
ポルコは、戦争の狂気や悲惨さを伝え、人間の愚かさに警鐘を鳴らしてくれます。
伝えたい事③真の価値
ポルコは、その人の真の価値とは行動や想いといった内面にあることを示してくれます。
豚の姿のパイロットというアンバランスさは、観客になぜ?という疑問を持たせ、問わせ続けることになります。

『紅の豚』なぜポルコは人間に戻る?戻った後、豚になる理由も【まとめ】
『紅の豚』でポルコに豚になる魔法をかけたのは、他の誰でもない、ポルコ自身でした。
つまりポルコは、葛藤の上“自己の選択”によって豚になったのです。
その豚の姿には、戦争の痛みへの断絶と自由への希求がこめられています。
ポルコは自身を呪っていますが、時々人間に戻るのは、ひとりになって気が緩んだりするときだと考えられます。
しかしポルコは自身を永遠に許すこともなく、任務で空を飛ぶようになることもなく、また豚に戻る、ということのようです。
その為ポルコは一生豚のままで暮らすと思われます。
しかしそれはバッドエンドではありません。
ポルコはポルコのままでもジーナやフィオに愛されます。
人は成長するし再生するもので、傷跡があっても、人を愛しまた愛されることができます。
次に作品を見返す際には、ポルコが“豚”であることを単なる設定だとか、ファンタジーとは思わずに、その背後にある深いテーマとメッセージを感じ取ってみてください。
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