名前(本名):牧眞人
年齢:11歳
宮崎駿監督最新作『君たちはどう生きるか』で、まひとが自傷を選んだシーン。
いじめの現実も衝撃でしたが、石で頭を殴り、血をだらだら流していたのは、衝撃シーンでしたね。
当記事では、まひとが自傷するに至った背景や深層心理を徹底的に考察していきます。
『君たちはどう生きるか』まひとはなぜ自傷したのかを考察

自傷とは、某メンタルクリニックによると、耐え難い心の痛みや苦しみを、身体の痛みで治療するという手段だという。
①いじめによるストレス
まひとは、いじめによって受けた耐えがたい心の痛みや苦しみを、身体の痛みに置き換えることによって、救われようとした。
まひとの身に自傷する前に何があったかというと、それは、いじめでした。
まひとが受けたストレスは、彼が転校初日にクラスメイトから集団暴力を受けたことを考えると、それは相当なものですよね。
まひとはおまけに、家庭でも新しい母や父ともうまくいってませんでしたから、尚のこと応えたと思います。
このことから、まひとの自傷行為は、
- いじめによる深いトラウマ
- 自己肯定感の低下
- 帰属意識の喪失と孤立感
が、複合的に影響したことによる“心の叫び”として描かれたと考察できます。
②周囲に対するSOS
また、自傷行為には、他者への助けを求めるサインも含まれていると考えられます。
まひとは、口で伝えられない代わりに、苦痛を可視化することによって、周囲にSOSを求めたのかもしれません。
『君たちはどう生きるか』まひとのいじめの背景と石で頭を殴る怪我シーン

いじめの発端は、まひととクラスメイトの摩擦でした。
もっといえば、車を見せびらかそうと、車にまひとを乗せて学校に乗り付けた父親の責任は重いかもしれません。
クラスメイトは、このご時世に車で学校に乗り付けてきて、頭も丸めていない、見るからに都会っ子な転校生まひとを、良く思いませんでした。
まひとはまひとで、こうなることを分かっていたのか、挑発的なオーラを放っていました。
そしてまひとは放課後、奉仕活動をサボって帰宅。
それに怒ったクラスメイトは、まひとに襲い掛かります。
まひともそれに応援し、ケンカになった、というわけでした。
まひとはその後、石で頭を殴るという自傷行為を行い、頭に怪我をします。
ですが両親には本当のことを言わず、「転んだ」と話しました。
『君たちはどう生きるか』まひとの自傷を通して伝えたかったメッセージ考察

宮崎駿監督が“悪意のしるし”を通して伝えたかったメッセージ。
それは、
自分自身を受け入れる勇気と、他者への共感と連帯の大切さ。
⇩
試練は乗り越えられるということ。
ではないかと考察できます。
まひとが自傷してできた傷は、悪意のしるしとして、物語の中で重要な意味を持つことになります。
まひとは、自傷によってできた傷を「転んだだけ」だと言ってウソをついていましたね。
(いじめにあっていることや、自傷したことは、言い出しにくいですよね)
まひとは、母親から贈られた本を読んだことで、それまで受動的だったのが、能動的に変化しました。
それまでのまひとは、父親に車で学校に送ってもらうことはイヤだと思っていても、それを口にはしませんでしたね。
まひとは、自分を理解してほしいと周囲に期待する一方、自分が周囲を理解するという発想は持ち合わせていなかったように見受けられます。
それが、まひとを拒む夏子に更に歩み寄るあのシーンでは、ずいぶん大人びて見えました。

「君たちはどう生きるか」は、いじめや自傷という重いテーマを通してこそ、「生きること」を深く問いかける作品になっていると感じます。
『君たちはどう生きるか』まひとの自傷なぜ?いじめで石で頭殴り怪我…【まとめ】

『君たちはどう生きるか』でまひとが選んだ自傷行為は、いじめによる心の傷と向き合うための“痛みの可視化”だったといえそうです。
自傷によってできる傷は、心の傷だといえますね。
まひとが頭を石で殴るに至った背景を知ることで、まひとの彼の苦悩と再生のプロセスをより深く理解できます。
すると、まひとの自傷行為が単なる衝動ではなく、“逃れられない痛み”から生まれた深刻なSOSだったことが浮き彫りになります。
今後、作品を振り返る際には、まひとの行動や、そこに込められた監督のメッセージを意識してみてください。
きっと新たな発見があるはずです。
参考 宮崎駿『スタジオジブリ絵コンテ全集23 君たちはどう生きるか』
スタジオジブリ『宮崎駿監督作品 君たちはどう生きるか ガイドブック』
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