映画を観ると、
気になるのが、
物語の時代背景や年代ですよね。
『となりのトトロ』の時代設定は、戦前?戦後?
サツキとメイのお父さんは戦争に行ったのか?
サツキとメイのお父さんの仕事や年齢は?
ect…
これらは、世間一般にはあまり知られていない裏話ですよね。
早速確認して、『となりのトトロ』をより一層楽しるようになりましょう。
『となりのトトロ』都市伝説も必見です。
『となりのトトロ』時代設定は?(背景・年代・戦争前?後?)
昭和28年(西暦1953年)
戦争後。
根拠
『となりのトトロ』が昭和28年(1953年)を想定して作られたことは、
同じくジブリ映画『コクリコ坂から』のパンフレット(企画のための覚書「コクリコ坂から」について「港の見える丘」より)に記載されています。
また、愛・地球博公式サイトでは、
「サツキとメイの家」を、"昭和30年代の家"だと紹介しています。
第二次世界大戦が終戦したのは、1945年9月2日です。(1939年9月1日 ~1945年9月2日)
『となりのトトロ』の時代設定が、1953年代。
つまり、『となりのトトロ』は、
第二次世界大戦が終戦してから8年後の物語だということになります。
第二次世界大戦終戦したその年、
10歳のサツキは2歳、
4歳になるメイは生まれていなかったということになりますね。
メイはもちろんのこと、
サツキに戦争の記憶はないと言って過言ではないでしょう。
『となりのトトロ』お父さんは戦争に行った?
サツキとメイのお父さんは、
戦争経験者だが、
戦争には行っていないものと思われる。
なぜならば、
お父さんは教育関係者で、徴兵を免れたと考えられるからだ。
サツキとメイのお父さん(草壁タツ夫)の職業や仕事内容は?
①大学の教師(大学院の研究室で、発掘調査をしたり、学術論文を書いたりしている)
②在宅で翻訳の仕事
→お父さん(草壁タツ夫)は、考古学者です。
お父さん(草壁タツ夫)は、
高校時代から考古学を学んでいました。
サツキとメイのお母さんは1年前結核で倒れ入院しており、
入院費がかさんでいます。
なのでお父さんは、ダブルワークして、稼いでいるのですね。
サツキとメイのお父さん(草壁タツ夫)はなぜ戦争に行かずに済んだ?
教育関係者で、徴兵を免れていたから。
第二次世界大戦開始当時の1939年、
男子は20歳より徴兵検査を受けることになっていました。
しかしお父さん(草壁タツ夫)は現在32歳なので、
戦争開始時点では18歳だったということです。
つまり、戦争が始まった時点ではお父さん(草壁タツ夫)は、
徴兵対象者ではありませんでした。
その後お父さん(草壁タツ夫)は高校で考古学を学びました。
その後、大学に進み、
大学院に進み、
研究の道を選んで学の先生になったと考えられます。
当時は大学・専門の学生は20歳を過ぎても、
学生の間は徴兵検査を猶予されていたということです。
これは、当時の大学・専門進学者は5%であり、エリートだったからということです、
それなので、
エリートであるお父さん(草壁タツ夫)はその後も戦争に行かずに済んだものと考えられます。
それでも、昭和18年(終戦2年前)になると、
文系の学生は猶予撤廃となり、繰上げ卒業などで学徒出陣されました。
(考古学は文系に分けられる。しかし教育系は別だった模様。教育者が必要な為)
昭和18年というと、
西暦でいうと1943年のことで、
お父さん(草壁タツ夫)はこのときすでに24歳。
お父さん(草壁タツ夫)は大学を卒業し、
大学院に通いながら講師として働いていたので、
戦争に行かずに済んだ、ということではないでしょうか。
翻訳の能力もあったようですから。
お父さん(草壁タツ夫)はネット上では翻訳の締め切りに終われて寝坊したり、家事をサツキにやらせていることから「クズ」といわれることもあります。
が、超エリートだったんですね。
つまりお父さん(草壁タツ夫)は、
あと2年ばかり早く生まれていたら、
戦争に行かなくてはならなかったかもしれません。
(学徒出陣では、ほとんど準備が間に合わず、死者は9%にとどまったようです)
お父さん(草壁タツ夫)はつまり強運だったのです。
学術の道に進んだのも、
もしかしたら戦争に行かなくて良いというメリットもあったのかもしれません。
当時、戦争に行かなくて済むことを理由に、
軍事工場の工場院として働くことを選ぶ人もいたようですから。
その他に、
長男の他、
権力者の息子も、裏の力を使って、戦争に行くことは免れたようですね。
いつの時代も、権力や金の力は動いているのですね。
それとは反対に2度も3度も戦地に赴かなくてはいけない人がいたというのですから、
浮かばれません。
戦争が終わったとき、お父さん(草壁タツ夫)は26歳でした。
22歳のときにサツキが生まれたということですね。
因みにお父さん(草壁タツ夫)は長子ではないようです。
▼以下の記述より。
「藤山さんはなんでお父さんみたいに大学の先生じゃないの?」
窪つぎこ文・宮崎駿原作・絵・小説『となりのトトロ』,アニメージュ文庫,1988年,p75~76
「家をついだんだよ、長男だから。大学で働くわけにいかなかったんだな」
健康状態が悪いと収集されずに済みますから、
わざとからだを悪くした人もいたそうです。
命には代えられない、ということですね。
寒い夜にむきだしの尻で庭石に痔になるまで座り続けたり…
醤油を一升飲んで腎臓疾患を装ったり…
わざと性病にかかったり…
生々しいですよね。
いろいろ印象詐称されているだけで、
それが当時の実態というか、一般的な心理だったのではないか、という気がします。
志願するのも、人の目を気にして、家族がバカにされないようにする為で、
追い詰められた結果だったのかなと…
(これははだしのゲンを見て思ったことですが)
徴兵されたら最後、拒否権はありませんでした。
教育関係者、大学・専門学生(特に理工系)、通訳者、長男(1人息子)、医療関係者、農家、住職、 鉄道関係者、電信・電話関係、軍需品の生産ライン関係者など
(宮崎駿監督の父親は、軍需品生産工場を営んでいた為、戦争に行かずに済みました)
※当時の戦争の時代背景は主に知恵袋より参照。
あわせて読みたい。お父さんはトトロに気づていた?いない?
トトロの正体もチェックして(公式回答)
小説『となりのトトロ』で見られる戦争の記述
映画『となりのトトロ』に戦争を感じさせるような描写はありません。
しかし小説には、ちらほらとあるんですよ。
たとえば、
●おばあちゃんが、ススワタリの逃げ足の速さをB26に例えたり…
●サツキがお母さんからの手紙に書いてあった「お化けが出てくるとしたら、寺島の家(サツキたちが前に住んでいた家)の築山の向こうにある八重桜の木のあたりだと思っていた」という文章を読んで、(あの築山のかげの防空壕のあとあとなら確かに出てきそうだ)と考えたり…
宮崎駿監督が描く日本を舞台にした映画は、太平洋戦争の頃に時代を設定したものが多い気がしますよね。
それは、当たり前のことですが、宮崎駿監督が幼少期に戦争を体験されているからというのが大きいと思います。
子ども時代が昭和だったのであれば、やはり令和時代の子どもの物語を描くよりは、昭和時代の子どもの物語を描いた方が、説得力ありますよね。
『となりのトトロ』もやはり時代はそのくらいでしたが、しかし草壁家のの主は戦争に行かなくて済みました。
お父さん(草壁タツ夫)がもし戦争に行っていたら、確かに、なんとなくあの気楽で明るいような雰囲気は失われていた気がします。
お父さんからあそこまで戦争が感じられないことも不自然だったかも。
そして『となりのトトロ』と当時同時上映されていたのが、『火垂るの墓』でした。
『火垂るの墓』といえば、戦争映画の代表の中の代表、というイメージです。
一方の草壁タツ夫は戦争に行かずに終戦後も生き残り、
一方清太と節子の父親は戦争に行き、そのまま帰らぬ人となり、残された子どもたちも生きていけなかったことを思うと、なんとも切ないですね。
『火垂るの墓』に出てくる節子は、メイと同い年で、4歳なんですよ。
しかし生まれてくる時代は、それぞれ戦後、戦時中と異なりました。
【裏話】トトロの時代設定は戦争後で、お父さんは戦争経験者だった…!【まとめ】
『となりのトトロ』時代設定は?(背景・年代・戦争前?後?)
→戦争後の、昭和28年(西暦1953年)。
『となりのトトロ』お父さんは戦争に行った?
→お父さんは考古学者で教育関係者だった為、徴兵を免除され、
戦争には行かなかったものと思われる。
『となりのトトロ』の時代設定は、ちょうどうちの両親がメイやサツキの年代くらいだったとき同じです。
ふたりとも、ジブリ映画の中では『となりのトトロ』がいちばん好きだと話していました。
それを聞いてなんとも幸福な気持ちになったものです。
今となっては、その「好き」の中には、「懐かしい」という感情も大きかったのかもしれないと思います。
『となりのトトロ』は、「観る人を温かい幸せな気持ちにする」為に作られた映画。
それでなくても、『となりのトトロ』がいちばん好きだという人は多いと思いますが。
観る人を幸せにさせる映画だからでしょうか。
「となりのトトロが好き」と聞くと、こちらまでなんだか幸せな気持ちになるのは。
因みに、平成や令和しか知らない生まれた子どもからしても、昭和レトロは懐かしく感じるようです。
参考文献:
書籍『となりのトトロ』
書籍『ジ・アートオブ となりのトトロ』
Wikipedia
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