ジブリ『火垂るの墓』の中に、カニバリズムが描かれていると、話題です。
火垂るの墓 |カニバリズムとは?
カニバリズムとは、一言でいえば、人肉を食べること。
人肉を食うこと。人肉嗜食。食人習俗。狭義にはその社会の中で宗教儀礼として認められた食人の習慣、をいう。カニバル(食人者)という語は、コロンブスの報告から食人者だとみなされたカリブ族(Caribs)に由来する。スペイン人の発音の誤りからカリブがカニブになり、そこからカニバルという語が生まれた。食人者に関するうわさや報告は世界中に見られる。
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
つまり、清太が節子の肉を食べてた、ということ…!?
もし本当にそうなら衝撃の事実ですが、実際は、どうだったのでしょうか?
火垂るの墓 |清太が節子を食べた、は本当?(カニバリズム)
絵コンテにも、原作にも、清太が節子を食べたという描写はない。
が、想像・解釈の余地はある。
映画や絵コンテ、原作の中に、清太が節子を食べたと特定できる描写はありません。
しかし公式は、清太が節子を食べたとも、食べないとも言っていません。
ですから、想像の余地はいくらでもあるのです。
火垂るの墓 |清太が節子を食べたと解釈できるシーン
- 清太が節子を火葬している横で何かを食べているシーン
- ドロップ缶に節子の骨をしまっていたから
- サツマイモがドロップ缶に変わるから
①清太が節子を火葬している横で何かを食べているシーン
人によっては、まさか…、と感じるかもしれませんが、上記画像のシーン(清太が節子を火葬している横で何かを食べている)を見て、
清太が節子の肉を食べているんじゃ…!
と感じる人もいるようです。
しかし、答えはノーです。
なぜなら、この肉にも見えるような塊は、生のサツマイモだったからです。
〈絵コンテより〉↓
このシーンが伝えたかったことは、なんだったのでしょうか。
どんなに悲しくても、お腹はすく、ということなのか。
それとも、節子がお腹いっぱいで天国に行けるようにと食べているよ、ということなのか。
はたまたその両方なのか。
ドロップ缶に節子の骨をしまっていたから
清太が、節子の骨をドロップのようにして食べていたのではないか…?
↓
- 死亡した清太が持っていたドロップ缶の中から、節子の骨が出てきたから。
- かつての日本には「骨噛み」という遺骨を食べるという風習があったから。
遺骨を食べるというカニバリズム
- 日本には戦前、「骨噛み」という故人の骨を食べて哀悼するという風習があったということです。
- また現在でも、故人、あるいは亡きペットの遺骨を食べる、という人はいるそうです。
その人、あるいはペットを自分の体の一部として生かしたいという思いからなのだそうです。
遺骨を食べるなんて!と最初は驚いた人も多いと思いますが、そう聞くと、分かりますよね。
ずっと一緒にいたい、という思いから、遺骨ペンダントを作る心理に似ているようですよね。
結局清太は節子の遺骨を食べたのか
清太が節子の遺骨を食べたのかどうかは、
各自想像して楽しむことになります。
が、しかし個人的には、食べていなかったのではないかと思います。
いくら「骨噛み」という風習があって、
清太がドロップ缶に節子の骨を入れていたからといっても…
清太が節子の骨を食べていたと決めるのは、強引に感じます。
ドロップ缶は、普通に考えれば骨壺代わりにしていたのでしょうし、
清太は少なくとも小説の中では、節子を食べてはいなかったようです。
(ネット上に「小説の中に清太が節子の骨を舐めるシーンがあったと思う」といった書き込みがあるのも目にしましたが、実際にそのような記述は確認できなかった)
そして何より、ジブリであったら、もし食べているのであったら、もう少しヒントを残すのではないか、と考えたからです。
面白みのない、リアルな考え方かもしれませんが…
ですが小説と映画はまた別ですから、清太が節子を食べたという可能性は、当然あります。
サツマイモがドロップ缶に変わるから
クライマックスで、清太が食べていたサツマイモが、ドロップ缶に変わる。
これは、カニバリズムを示唆している…?
映画の終わりに、
清太と、清太が手にして食べていたサツマイモが、
亡霊の清太と、ドロップ缶に変わるというシーンがあります。
このシーンには、もしかしたら、
清太がドロップ缶にしまっていた節子の骨を食べていたのだという、メッセージがこめられていたのかもしれません。
火垂るの墓 |清太が節子を食べた理由
清太が節子を食べていた場合、その理由は、
- 「骨噛み」のような、故人を追悼する気持ちから。
- あるいは、お腹が空いていた可能性も、なきにしもあらず。
なんせ、『火垂るの墓』は、原作者の野坂昭如さんの実体験が元になっているのですが、
野坂昭如さんは、1歳の妹の太ももにすら食欲を覚えたそうですから。
飢えというものは、実際にそうなってみないと到底分からないものですが、
本当に凄まじいものなのでしょうね。
結果、野坂昭如さんの妹は骨と皮だけになって亡くなってしまいましたが、野坂昭如さんは生き残りました。
野坂昭如さんは、
時には飢えから妹の分の食料にまで手を出し、
時にはよく夜泣きする妹を泣き止ませる為に殴って、気絶させてしまったこともあったといいます。
それで、
「せめて妹をもっと可愛がってやれれば良かった」
という後悔から、『火垂るの墓』を執筆するに至った、ということです。
映画のように、妹が4歳だったのなら、面倒をみるのも、もう少し楽で、もう少しは清太のように可愛がれたかもしれません。
火垂るの墓 |カニバリズムとは?清太が節子を食べた理由【まとめ】
清太が節子を食べたかどうか(カニバリズム)は公式回答もないので、分かりません。
が、清太は節子を大切に思う気持ちから、骨を食べることで、これからも一緒に生きようと考えたかもしれません。(骨噛み)
清太は節子をうんと可愛がっていましたからね。
そうしたらカルシウムにもなったでしょう、切ないようですが。
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