火垂るの墓には実は続きがあった!?「アメリカひじき」で明かされる清太のその後とは

火垂るの墓には、実は続きがあった?

『火垂るの墓』が描き出す戦争の悲劇と兄妹の別れ。

それはあまりにも衝撃的で、多くの読者・視聴者の心に、トラウマレベルで深く刻まれています。

しかしその物語には、”実は続きが存在している”といわれていることは、ご存知でしょうか?

その続きというのが、野坂昭如による随筆集『アメリカひじき・火垂るの墓』に収められたエピソード『アメリカひじき』です。

本記事では、

『アメリカひじき』で清太と節子のその後がどのように語られているのか

を紹介していきます。

『火垂るの墓』で描かれたラストを受け入れがたい、受け入れられないという人には、必見です。

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「火垂るの墓」の続きが「アメリカひじき」である根拠は?

ます初めに、大前提として、『火垂るの墓』の続きが『アメリカひじき』である、という明確な根拠はありません。

原作者『火垂るの墓』の続きが『アメリカひじき』公言しているわけでもありません。

『アメリカひじき』の主人公の名前は、「清太」ではなく「俊夫」です。

『アメリカひじき』には妹にあたる存在も登場しますが、名前は明かされず、回想シーンにちらっと出てくる程度です。

しかし次の理由から、『火垂るの墓』の続きが『アメリカひじき』であると解釈されているのです。

  • 『火垂るの墓』と『アメリカひじき』は同じ1967年に発表され、同じ短編集『アメリカひじき・火垂るの墓』に収録された。
  • どちらも野坂自身の戦争体験や戦後体験が色濃く反映されていて、主人公には妹がいるなど、主人公の境遇が重なる。
  • 「火垂るの墓」が戦時中の悲劇を描くのに対し、「アメリカひじき」は戦後の悲劇を描いており、時系列的にも、“続き”のように読める構成です。

「アメリカひじき」で語られた「火垂るの墓」のもう一つのその後とは?

主な登場人物

主な登場人物は、敏夫夫婦と、アメリカ人老夫婦です。

俊夫(主人公)

俊夫イメージ画像
※俊夫イメージ画像
  • 戦後の日本を生きる36歳の主人公。
  • 小さいながらも、TVCMフィルム制作のプロダクションを主宰している。
  • 戦争が終わったときは、14歳だった。
  • アメリカ人に対して複雑な感情(劣等感、憧れ、嫌悪感など)を抱えている。
  • 妻の強い意向により、アメリカ人老夫婦を渋々自宅に招くことに同意する。

京子(主人公の妻)

※京子メージ画像
  • 俊夫の妻。推定26歳くらい。
  • 戦時中の思い出としては、母の背におぶわれていた記憶があるらしい。
  • 短大で英会話を習うなど、アメリカ文化に抵抗がなく、むしろ好意的。
  • ハワイで知り合ったアメリカ人老夫婦を自宅に招きたいと張り切る。

ヒギンズ

ヒギンズイメージ画像
※ヒギンズイメージ画像
  • 推定62、3歳くらいのイギリス系アメリカ人。
  • 国務省を退いて恩給暮らしをしている。
  • 20年ぶりに日本を訪れ、俊夫と京子の歓待を受ける。
  • 無邪気で、遠慮がない。

ヒギンズ夫人:

ヒギンズ夫人イメージ画像
※ヒギンズ夫人イメージ画像
  • 京子がハワイで知り合った。
  • 無邪気で、遠慮がない。

あらすじ

茶葉をアメリカのひじきなのだと思って煮込む敏夫家族
茶葉をアメリカのひじきなのだと思って煮込む敏夫家族※イメージ

物語の主人公・俊夫は戦争で父を亡くし、戦後の混乱期を母と妹とともに必死で生き抜いてきました。(後に母親も戦災による衰弱により亡くなった)

物語は、俊夫夫妻が、アメリカ人老夫婦(ヒギンズ夫妻)を自宅に招くことになったことから始まります。

俊夫は、アメリカ人老夫婦をもてなす準備をしながら、22年前の敗戦直後の記憶を思い出します。

俊夫は当時、食糧難の中で米軍の物資をくすねて闇市で売ったり、アメリカ兵と私娼の間を取り持つようなことまでして生きていました。

あるとき、米軍の補給物資の中にあった黒いちぢれたものを「アメリカのひじき」と思い込み、母と妹と煮て食べます。

ですが実はそれは紅茶の葉(ブラックティー)だったので、全く美味しくありませんでした。

現在の俊夫は、アメリカ人に対して劣等感や複雑な感情を抱えています。

ヒギンズ夫妻に日本案内しながらも、敗戦国としての屈辱や戦後の苦い思い出が蘇り、なぜ自分は今もアメリカ人にサービスしてしまうのかと自問します。

「アメリカひじき」は実は実写化されていた!

『アメリカひじき』を清太と節子のパラレルワールドとして、映像化してほしいよ~!(SNSより)

清太と節子のパラレルワールドとしてではありませんが、『アメリカひじき』は、1970年5月23日に『喜劇 頑張れ!日本男児』として映画化されていました。
※ただし投稿日現在、配信やレンタルはないようです。

俊夫は、戦争の体験から、アメリカに対して複雑な感情を抱いています。

ヒギンズは俊夫の父親を殺した国の人間だというのに、いざヒギンズを目の前にしてしまうと、そんな恨みは全くなく、むしろ懐かしくすら感じて、あの手この手で彼を喜ばせようとしてしまう。

しかし当のヒギンズは無邪気なもので、おごられたり、もてなされたりすることについて、何も感じていないように見える。

挙げ句には俊夫の誘いを断って、「大使館の友達と会ってきます」と、20年ぶりの来日とは思えぬ慣れた足取りでスタスタと歩いていってしまう。

自宅へ帰れば、妻の京子も似たようなことになっていて、無遠慮で、いつまでも居座る彼らに対し、当初の張り切りムードから一転、「いつまでいるつもりかしら」とカンカンになっている。

この辺りの滑稽さが、「喜劇」とされたのでしょうね。

映画版では、これにさらに面白おかしく脚色が加えられています。

戦争の経験はないにしても、この、敏夫の、
「(子供のような無邪気さを持ったアメリカ人に)喜んでもらいたい!」
という気持ちに共感できる、という人は多いのではないでしょうか。

「アメリカひじき」は「火垂るの墓」のその後として一読の価値あり?

個人的には、大いに有りだと思います。

『アメリカひじき』は、『火垂るの墓』関係なしにしても、『火垂るの墓』と共に第58回直木賞受賞作品であり、読みごたえがあります。

『アメリカひじき』と『火垂るの墓』に、同一する登場人物は出てきません。

それでも不思議と、『アメリカひじき』には、清太と節子のもう一つのその後が描かれていると思わせてくれる説得力があるように感じます。

それだけに、世界観が同じに感じられるということなのでしょうね。

これが良いか悪いかのは分かりませんが、『アメリカひじき』を読むと、アニメと現実の区別がハッキリと付くので、『火垂るの墓』を観終えた後の喪失感においては、和らぐように思います。

またそれとは異なるリアルな切なさのようなものには襲われるかもしれないですが。

「喜劇」として映画化されたくらいですから、そこまで深刻にならずに読めます。

また、当時の時代背景をよく知ることができ、学びになると同時に、考えさせられます。

「火垂るの墓」の原作と共に、ぜひ読んでみて下さい。

参考元:file:///C:/Users/aaawa/Downloads/nihongonihonbungaku0_30_00.pdf

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